読書についての記事がまとまらなかった

読書についてしっかりした記事を書こうと思ったけど、全然まとまらなかったので、いったんここに供養します。






本を読むとえらいとか、本を読まないとダメとか、インプットが少ないから改善しなきゃとか、そういうの全部どうでもよくなってきた。
難しい本をがんばって読破しようとすることもなくなった。本を買っても、難しいと思ったらすぐに読むのをやめてメルカリに出品してしまう。
そんなぼくの読書へのスタンスをまとめてみようと思う。正しいとか正しくないとかはどうでもいいし、正しいかどうかはぼくが決めることなんだけど、かつてのぼくのような、読書に対する謎の義務感を感じている人の肩の荷をおろせればうれしい。

そもそも読書は必要か

「映画は必要か」「音楽は必要か」という問いに対する答えと同じ。
必要ある人にとってはあるし、ない人にとってはない。
読書は場合によってはすごく楽しいし、学べることも多いけど、他の娯楽と同じで、やりたい人がやりたい時にやればいい。
また、本は学習のための有効なツールの1つではあるけど、本を読まなければ必ず貧乏になる、ということは全くない。
ぼくの父親はほとんど本を読まないけど、一軒家を買って、子供を3人養って、友達もいて普通に幸せそうに見える。
またぼく自身はプログラマーをやっているけど、プログラマーのようなバチバチの頭脳労働でも、読書をしなくても仕事ができる。もちろんネット上のドキュメントやエラーメッセージを読まなきゃいけないから「文章を読む能力」は必要だけど、必ずしも本を読む必要はない。

どんな時に本を読むか

ぼくの読書は、大きく2パターンに分類される。目的がある読書と、目的のない読書だ。
例えば新卒で入社したての頃、早く1人で営業ができるようになりたいと考えていた時、営業やビジネスマナーの本を計10冊くらい買って片っ端から読んだことがある。これは目的のある読書だ。知りたいことが分かればwebの記事でもYouTubeでも何でもいいんだけど、まとまった情報が欲しいときには本は便利。
本屋で気になった本とか、Twitterで人がオススメしていた本を読んでみるのが、目的のない読書。面白ければ最後まで読むし、つまらなかったらすぐに読むのをやめる。webで記事を読むときと同じノリ。

読書すると成長するの?

成長するのは坂道を転げ落ちるように熱中している時で、それ以外の努力なんてものは誤差でしかない。頑張って地道に難しい本を読んだって、誤差の範囲での成長しか期待できない。しかも難しい本を無理に読もうとすると、すぐに読むのが億劫になって、結果として読書の時間が大幅に減ってしまう。

ぼくにとっての良書

夢中になって読んでしまう本が良書、夢中になれない本は価値の低い本。他の人がどれだけ絶賛していても、夢中になって読めない本はぼくにとっての良書ではない。本が悪いわけでもぼくが悪いわけでもない。今のぼくが読むべき本ではない。
古典は時の洗礼を受けているから価値が保証されている、みたいな意見があるけど、自分との相性が悪かったら良書でも何でもない。
逆にいうと、ぼくにとって面白くない本でも、不特定多数の前で気軽に批判すると、信用を大きく減らしてしまう場合があるから注意。

その他メモ

自分にとってなんらかの意味があればそれで良い
(内容 × 吸収率) + 本の情報から生まれる思考 + 楽しさ
おもしろそうな記事があったらとりあえず読んでみて、途中まで読んでつまらなそうならページを閉じる。本に関しても同じことをするだけ。
退屈なことをしてまで成長したいと思わない。シンドいけど楽しいならやるけど。
・将来の役に立つ努力なら、今つまらなくても良い、なんて考えはない
・難しい本が読めない